北海道・富良野。国道237号線沿い、ラベンダーが風に揺れる穏やかな景色の中に、ひっそりと、しかし確かな存在感を放つ建物があります。その名は「なかふらの単車館」。年に一度、初夏の匂いが満ちる頃だけ、そのシャッターは静かに上がります。
バイクとの出会いが、すべての始まり

館内に足を踏み入れる瞬間は、まるで宝箱のフタを開けるよう。かつての名車たち、日本のバイク黎明期に生まれた重厚な鉄の塊たちが、およそ100台、整然と並んで迎えてくれます。
この空間をつくったのは、地元で歯科医院を営む冨樫さん。大学生の頃、偶然出会った一台のホンダC100に心を奪われて以来、旧車を集め、直し、乗って、また集めて、気づけば実家の倉庫に収まりきらないほどになっていました。

「ただ埃をかぶって眠らせるだけじゃ、あまりにもったいない」
そんな想いから、かつて旭川信用金庫の中富良野支店だった建物を借り、2015年、単車館を立ち上げました。
忘れられた単車も、ここに生きる

ここにはホンダやヤマハといった有名メーカーの名車だけでなく、時代の波に消えていった無名のメーカーの希少車も数多く展示されています。たとえば、戦後すぐに東京で活動していた東京発動機。オートバイとモペットの中間のような簡素な車体は、実用性と耐久性を重視した時代の産物で、今となっては貴重な歴史の証人です。

一方で、新三菱重工(現・三菱)、ダイハツ、富士重工(現・スバル)といった自動車メーカーも、オートバイの製造に取り組んでいました。今ではその事実すら忘れられがちですが、当時のバイクには、それぞれのメーカーが持つ技術と美意識が確かに息づいていました。
昭和製作所、田中工業、山下製作所など。今では名前すら聞くことがなくなった小さなメーカーたちですが、展示されているバイクたちは、当時の技術者の情熱や、手作業の温もりを今に伝えてくれます。

特筆すべきは、山下製作所の「パール号KTT」です。1956年にわずか10台のみ生産されたこの車両は、北海道への輸送途中に船が沈没したという逸話を持つ“幻の単車”。そのうちの一台が、奇跡的にこの館で今も生きています。
思い出が眠る、静かなガレージ

展示されているバイクの中には、友人から譲り受けたものや、すでに他界した仲間から託されたものもあります。すべての単車に、それぞれの物語がある。初めてエンジンがかかった瞬間、仲間と走った峠道、交わされた言葉。時は止まっても、記憶は静かに息づいています。
“好き”だけでは続けられない現実

開館当初、冨樫さんは毎週末にシャッターを開け、訪れるバイク好きたちとの語らいを心から楽しんでいました。けれども次第に、本業との両立が難しくなっていきます。加えて、一部の来館者から向けられる執拗な質問や所有への羨望、さらには「売ってほしい」と繰り返される依頼の数々に、心が少しずつすり減っていったのです。
「好きだからこそ、無理はしたくない」
そう思い直し、いまでは開館は年に一度、6月の最終日曜日、「北海道クラシックカーミーティングinふらの」の開催日のみとなっています。
「見せびらかしたいわけじゃなくて、分かち合いたいだけなんです」
冨樫さんの言葉が、なかふらの単車館のすべてを物語っています。

昭和を駆け抜けた名車たちは、今はその目を閉じています。しかし、年に一度だけ、エンジン音の記憶がふたたび蘇り、静かに時間旅行が始まるのです。
また来年、同じ日に。
そのとき、きっとバイクたちは笑顔で迎えてくれることでしょう。
なかふらの単車館
住所:中富良野町南町
開館日:毎年6月最終日曜日








