筑波耐久茶屋千秋楽に2人のゴットが現れました。元GPライダーの宇川徹さんと元世界チャンピオンの原田哲也さんが降臨。多くの人たちが世界を制した2人のライダーの走りを堪能しました。
レーシングライダーに影響を与えた、お二人のプロフィールを紹介します。
宇川 徹さんのプロフィール
鈴鹿8時間耐久ロードレースで最多となる5回の優勝経験を持ち、世界最高峰ロードレースであるMotoGPで日本人として初めて優勝したレーサーです。
1973年5月18日生まれ、千葉県松戸市出身。10歳でポケバイに乗り始め、ミニバイクレースを経て1989年に現在のチーム高武(当時はテクニカルスポーツ九州)に加入し、ロードレースにデビューしました。同年に九州選手権SP250チャンピオンを獲得。翌1990年には17歳の若さで柳川明選手とペアを組んで鈴鹿4耐に出場し優勝しました。その後は全日本ロードレース選手権国内A級250ccチャンピオンに輝き、1992年に国際A級に昇格すると同時にホンダワークスに抜擢されます。1993年、1994年は2年連続で全日本ロードレース選手権国際A級250チャンピオンになりました。
2004年以降はおもにワークスマシンの開発ライダーとしてMotoGPにもスポット参戦しました。2006年に、これまでの経験を評価され本田技術研究所に入社。市販モデルの開発業務に専念するため選手を引退しました。
2018年にホンダの二輪ワークス・チーム復活に伴い、全日本ロードレースと鈴鹿8時間耐久レースのチームHRCの監督に就任。HRCが全日本ロードレース選手権参戦を休止した2024年からは監督を離れ、ホンダものづくりセンターで開発に携わりながらサンデーレースやテイスト・オブ・ツクバに参戦しています。
原田 哲也さんのプロフィール
1993年ロードレース世界選手権GP250チャンピオン。WGPは日本人最多タイとなる通算17勝、WGP通算表彰台は日本人最多の55回を記録しています。
1970年6月14日生まれ、千葉県千葉市出身。1981年にポケバイでレースデビューします。16歳で二輪免許所得後、ロードレースにデビュー。1987年に筑波選手権125ccチャンピオンを獲得しました。1988年に全日本ロードレース選手権併催のジュニア125で全戦全勝した後、国際A級に昇格し、ヤマハとファクトリー契約を結びました。1989年に全日本ロードレース選手250ccクラスに参戦し、A級初年度ながらランキング4位に入賞しました。
1991年に原田自身が手掛けた91年式TZの改良版であるTZM250をヤマハから貸与されます。Mはモディファイの意味。フレームはTZを流用していますが、エンジン特性や細部に関しては原田さんの要求仕様になっています。1992年にそのマシンを操って全日本ロードレース選手権GP250クラスチャンピオン獲得。このとき岡田選手と熾烈なタイトル争いを繰り広げ、第6戦の鈴鹿では全日本ロードレース選手権史上初の同着・両者優勝を記録しました。
2002年にホンダのサテライトチーム「プラマック・レーシング」に移籍。活躍に期待が集まりましたが、マシンとの相性などから苦戦を強いられて不本意な成績に終わります。自身の将来や様々な条件面を考慮した結果、ロードレースからの引退の決断を下し、第一線から退きました。
レジェンドたちの走りをその目に焼き付けろ!
プロフィールを見ても、お二人のレジェンドぶりが伝わると思います。しんたろう炎の動画「神回!こんな事ある!?原田哲也選手と宇川徹選手と一緒!!筑波耐久茶屋千秋楽!」では、お二人の走りを楽しめます。ライディングテクニックの参考にもなるので、ぜひチェックしてください。
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この記事では、動画「Shintaro.Nakayama 炎のしんたろう」チャンネル協力のもと、モトメガネ編集部で記事を再編集。ジャンル&排気量を問わず、さまざまなバイク情報を取り上げています。