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レジェンドライダー勢揃い!WSBKを支えて20年のサプライヤー『ピレリ』

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目次

レジェンドライダーたちが、ピレリのWSBK20周年を祝福してくれた!

ピレリがWSBKにタイヤを供給し始めてから今年で20周年。

6月3日に、今年のWSBK第5戦が開催されたイタリア・ミサノサーキットで、それを祝うピレリ主催のパーティーが開催されました。

サーキット内に設けられた特設会場に招かれたのは世界各国のピレリタイヤのディストリビューターに加え、過去20年間でWSBKのタイトルを獲得したチャンピオンライダーたち。

つまり、往年のレジェンドライダーたちがピレリとWSBKの20周年を祝うためにミサノに集まったのです。

予選が終了した土曜日の夕方、ミサノ・ワールド・サーキット・マルコ・シモンチェリのピットに設けられたパーティー会場には、新旧のチャンピオンライダーたちが続々と集まり始めました。

この20年間でもっとも古いチャンピオンであるトーズランド(ドゥカティ)をはじめ、マックス・ビアッジ(アプリリア)、ジョナサン・レイ(カワサキ)、トプラク・ラズガットリオグル(ヤマハ)、そして昨年のチャンピオンであるアルバロ・バウティスタ(ドゥカティ)など9名。

都合がつかずオンライン参加したニール・マッケンジとベン・ボストロムを加えた、全11人のライダーがピレリのWSBKタイヤ供給20周年を祝ってくれました。

1980~90年代半ばまで世界GPなどで活躍したニール・マッケンジー(左)はオンラインで参加。右のトロイ・コーサーは1996年にドゥカティ、2000年にスズキでWSBKチャンピオンを獲得。
ドゥカティのレジェンドライダー、トロイ・ベイリス(左)は計3回チャンピオンを獲得。オンライン参加したベン・ボストロムはチャンピオンには手が届かなかったが2001年にドゥカティで計6勝を挙げた。
ドゥカティとホンダで一度ずつチャンピオンを獲得したジェームス・トーズランド(右)、右のシルバン・ギュントーリは2014年にアプリリアでチャンピオンを獲得した。
2013年にカワサキでチャンピオンを獲得したトム・サイクス(左)と、2015年~2020年までカワサキ・ZX-10Rで6連覇したジョナサン・レイ。
先頃、来シーズンのBMW移籍を発表したトプラク・ラズガットリオグルはヤマハで2021年にチャンピオンに(左)。昨シーズンのチャンピオンで、今シーズンは破竹の進撃を続けているドゥカティのアルバロ・バウティスタ。

パーティーに参加したライダーは、それぞれステージで参戦当時の逸話を語ってくれましたが、もっともウケたのがピエール・フランチェスコキリ(写真中央)。ホンダやドゥカティでWSBK、そしてモトGPでも活躍した実力派ライダーですが、実はWSBKでチャンピオンを獲得してはいません。

つまり、今回の招待レギュレーションにはフィットしていなかったのですが、「キリが来ちゃったよ!」と、レジェンドライダーの登場に会場は大盛り上がりでした。

1980年代からレースをはじめ、WGP500/250、そしてWSBKで長期間活躍したイタリア人のピエールフランチェスコ・キリ。チャンピオン枠じゃないのにパーティーに参加して、会場を大いに沸かせた。

ステージに呼ばれたチャンピオンライダーたちは、それぞれ現役当時のピレリタイヤとの思い出を話してくれたのですが、共通していたのが供給を開始した当初はピレリタイヤが性能的になかなか厳しかったということ。

ピレリのワンメイクになる前は、それぞれが自分のマシンに合ったタイヤをチョイスできたのですが、そうはいかなくなってライダーたちは戸惑ったようです。また、毎回違うサーキットで争われるWSBKレースですから、すべてのサーキットでどのライダーも満足がいくようなパフォーマンスを発揮することはかなり難しかったとのことでした。

そんなワンメイクになった当初の思い出話を、ジョークを交えながら時には辛辣に語ってくれたレジェンドライダーたち。彼らの献身的な協力があったからこそ、20周年を迎えることができたのです。

また、この20年間の経験によって、ピレリのスーパースポーツ用タイヤの信頼度が大きく向上したことも見逃せません。

WSBK用タイヤのDIABLO™ SUPERBIKEの周りに、20年間のさまざまなことが書かれている。じっくり見るととても面白いですよ!

日本はこの先10年くらいレースで苦労するかも

このパーティーに出席した、ピレリジャパンの二輪部門責任者の児玉さんはたまたまマックス・ビアッジさんと同じテーブルだったので、ひとつ質問をしたそうです。

「今、WSBKでもモトGPでも日本勢がとても苦しんでいるけど、なんでだと思いますか?」

この質問に対して帰ってきた答えはとてもシンプルなものだったそうです。

「ヨーロッパのメーカーは、コロナ禍でレースが開催されなくなった間も、明日レースが始まってもいいように開発もテストもしていた。それを怠った日本のメーカーとの差がそこで大きく開いたんだよ」

そして、日本メーカーは努力が必要だけど、この差を埋めるにはこの後10年や15年かかるかもしれないとも言っていたそうです。

ピレリジャパンの児玉部長が同じテーブルだったマックス・ビアッジさんに、いまモトGP、WSBKで日本メーカーが苦労している理由を聞いたら、かなり深刻な答えが返ってきた……。

児玉さんは今回のイタリア訪問の際、日本人だと分かると強いホンダが復活してほしいと言ってくる人が非常に多かったといいます。そして、ヨーロッパでも日本メーカーファンが意外に多いんだなと感じたそうです。

そんなヨーロッパのファンに答えることができるように、なんとか日本メーカーの奮起に期待したいですね。ビアッジさんが言うように10年、15年も待てませんからね。

※記事内容は全て執筆時点のものです。最新の情報をお確かめください。

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