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働き者の三輪車「ダイハツ・ミゼット」 昭和の街を彩った小さな英雄

※記事内容は全て執筆時点の情報です。

昭和30年代、日本の物流を動かしていたのは軽三輪トラックでした。なかでも1957年に登場したダイハツ・ミゼットは、超小型商用車として庶民の暮らしに寄り添う“働く相棒”となりました。小さな車体に詰まっていたのは、汗と希望、そして戦後日本の息づかいです。北海道・北竜町のリサイクルショップ「スマイル北竜本店」の協力を得て、復興の道をともに走り抜けた『昭和の働き者』の軌跡を振り返ります。

※「スマイル北竜本店」のミゼットはMP5型

目次

日本の物流を動かした軽三輪の時代

1950年代半ば、日本には戦争の傷跡が色濃く残っていました。舗装道路は少なく、物資の輸送はリヤカーや自転車が主流。魚屋のオヤジがリヤカーを押して町を巡る姿は、日常の風景そのものでした。そんな中「誰もが手軽に荷物を運べる小さな車を作ろう」と立ち上がったのが、ダイハツの技術者たちです。彼らが挑んだのは、まったく新しい国民のための商用車の創造でした。

出典:ダイハツ工業公式ホームページ

ダイハツは現存する最古の自動車メーカーです。1907年に大阪高等工業学校(現・大阪大学工学部)の学識者と実業家が中心となり、内燃機関の国産化を目的に「発動機製造株式会社」として創業しました。当初は織機や小型エンジンの製造が中心でしたが、1930年代には小型自動車の開発に乗り出します。戦時中は軍用車両や工業用エンジンの生産に携わり、その技術と経験が戦後の軽自動車開発の礎となりました。

リヤカーから生まれた“庶民の相棒”

1956年、三輪商用車の試作車「ミゼット号」が誕生しました。まだ自動車が庶民にとって遠い憧れだった時代、大型トラックを手にできるのは企業や裕福な商人に限られており、多くの個人商店の店主はリヤカーを引いて荷物を運ぶのが日常でした。それなら「リヤカーにエンジンを付ければいいじゃないか」。開発陣の発想は実にシンプルでした。

試作段階では、実際にエンジンを載せたリヤカーを走らせてテストを行ったといいます。すると、近所の子どもたちが「お化けみたいだ!」と叫びながら追いかけ回す騒ぎに。奇妙で愛らしい姿の試作車は、いつしか街の人気者となっていました。

しかし社内では「一人しか乗れない車が本当に売れるのか」と懐疑的な声も上がっていました。それでも技術者たちは「自転車とオート三輪の間を埋める、ちょうどいい車こそ日本には必要だ」と確信していたのです。

初代ミゼット(DK・DS)発売

出典:ダイハツ工業公式ホームページ

開発責任者の藤原彰氏は、庶民のための道具であることにこだわりました。コストを抑えるため部品点数を極限まで削り、車体は軽く、構造は簡素ながら頑丈に仕上げました。エンジンは既存のバイク用ユニットを流用。初期型の「ミゼットDK/DS」にステアリングではなくバーハンドルを採用したのも「自転車やバイクに慣れた人でもすぐ乗れるように」という配慮からです。

発売当初は「三輪なんて危ない」「荷物を積んだら転んでしまうだろう」と懐疑的な声も少なくありませんでした。ところが、その不安はすぐに杞憂に終わります。発売からわずか1年で販売台数は3万台を突破。新聞配達や豆腐屋、魚屋、酒屋、八百屋といった、街を支えるあらゆる職業の人々が次々とミゼットを取り入れたのです。

ある酒屋のオヤジは笑いながらこう語ったといいます。「坂道で転んだら命が危ねぇと思ったが、こいつはむしろスイスイ登るんだ」。緑色の小さな三輪車が行き交う街の風景には、働く人々の汗と笑顔、そして急速に伸びていく経済への希望が映し出されていました。

主なモデル

DK/DS型(1957年〜)

通称「バーハンドルミゼット」は、単座・幌キャビンの簡素な三輪で、249cc・8馬力の軽量実用車。全長2,540mmの小型車体ながら300kg積載が可能。後に10馬力化し、ドア付や2人乗りなど派生型も登場した。

MP2/MP3型(1959年〜)

通称「丸ハンドルミゼット」は、嘴状ノーズの一体型キャビンでスタイリッシュに進化。ドアを備え、幌から鋼板ルーフへ改良。丸ハンドルで操作性が向上し、車体拡大とセパレートシートにより2人乗車が可能となった。

MP5型(1962年〜)

最終型となるMP5型は、空冷2ストローク305cc単気筒エンジンを搭載し、3速マニュアルを採用したモデルである。出力向上と扱いやすさを両立した設計で、ミゼットシリーズの締めくくりにふさわしい完成度を備えていた。

昭和の記憶を今に伝える“走る証人”

昭和の庶民文化を象徴する存在として、ミゼットは今も語り継がれています。リヤカーから進化したこの小さな三輪車は、発展する街を軽やかに駆け抜け、人々の暮らしに寄り添いながら鮮やかな記憶となりました。

今も走行可能な「スマイル北竜本店」のミゼット。その小さなボディには、あの時代の笑い声と希望がしっかりと刻まれています。昭和の働き者は、半世紀を経た今もなお、静かに、しかし確かにその輝きを放ち続けているのです。

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