11日間に渡って東京ビッグサイト(東京都江東区)で開催された「Japan Mobility Show 2025(ジャパンモビリティショー2025)」(以下、モビショー)では、各メーカーのブースに加え、日替わりで多彩なプログラムが用意され、来場者を大いに楽しませました。特にライダー向けのコンテンツは、開催期間の最終週末となる11月8日(土)と9日(日)に実施、それぞれの会場がバイク一色に染まりました。まずは11月8日(土)の屋内外のプログラムをレポートします。
MOTO INFO掲載日:2025年12月3日
国内4メーカーコラボ!鈴鹿8耐パフォーマンス
屋外会場での鈴鹿8耐パフォーマンス

今年46回目の開催となった「FIM世界耐久選手権 “コカ・コーラ”鈴鹿8時間耐久ロードレース」(以下、鈴鹿8耐)。その迫力と魅力を伝えるべく、Performance Zone(東棟屋外臨時駐車場)にて「国内バイク4メーカーコラボ!鈴鹿8耐パフォーマンス」が実施されました。
国内4メーカーが用意したのは、今年の鈴鹿8耐を実際に走ったレーサーです。モータースポーツファンにとっては、これらのマシンを都心で一堂に会した姿が見られるだけでも感動を覚えるでしょう。さらに、鈴鹿8耐を戦い抜いたライダー4名がそれぞれのレーサーでデモ走行を披露しました。これほどの至近距離でプロの走行を見られる機会は滅多にないため、非常に貴重な機会となりました。





2015年の鈴鹿8耐をテレビ観戦していた岩戸 亮介選手(Kawasaki Plaza Racing Team / 以下、岩戸選手)は「いつか自分も出場したい」とそのときに思い、今年その願いを叶えました。津田 拓也選手(チームスズキCNチャレンジ / 以下、津田選手)は、レーサーに用いられている環境に配慮した素材を詳しく解説。高橋 巧選手(HONDA HRC※ / 以下、高橋選手)は、当初3人体制で臨む予定だった鈴鹿8耐の数日前にイケル・レクオーナ選手が手続きの都合により参戦を見合わせることになり、ヨハン・ザルコ選手と2人体制となった際の心境を語ってくれました。6年ぶりのファクトリーチームの一員として参戦した中須賀 克行選手(YAMAHA RACING TEAM / 以下、中須賀選手)は「6年前とは比べものにならない暑さでした」と、大変だったレース時の状況を話してくれました。
※HRC:株式会社ホンダレーシング

MotoGP中継の解説も務める辻本 聡氏(以下、辻本氏)と宮城 光氏(以下、宮城氏)がレジェンドライダーとして登場。辻本氏の鈴鹿8耐初参戦は1982年、宮城氏は1984年と、同イベントにふさわしいお二人から、実際に鈴鹿8耐を走った経験者ならではの質問や逸話が飛び出しました。


東棟屋外臨時駐車場という限られたスペースで、鈴鹿8耐参戦レーサーが周回します。津田選手は路面温度が低いなかでも果敢に膝を擦る高度なライディングを披露。岩戸選手は、コース内に隠しておいたカワサキのキャップを観客席に投げ入れるなど、来場者を楽しませました。

鈴鹿8耐に代表される耐久レースの醍醐味といえば、給油やタイヤ交換を行うピット作業です。今回EWCクラスに参戦したスズキ、ホンダ、ヤマハの3チームがデモンストレーションに臨みました。
チームごとに使用するツールやホイールの配置が異なり、コンマ1秒を削るための工夫が随所に見られました。デモンストレーションとはいえ、各チームのクルーの表情は真剣そのもので、緊張感が会場に伝わりました。辻本氏による手元計測では、鈴鹿8耐4連覇中のHRCが最速タイムを記録しました。


鈴鹿8耐トークショー with レジェンド&現役ライダー

東7ホールの「Mobility Culture Stage」に場所を移し、現役ライダーの岩戸選手、津田選手、高橋選手、中須賀選手、レジェンドライダーの辻本氏と宮城氏、MCのレーサー鹿島氏と難波 祐香氏による、鈴鹿8耐にまつわるエピソードを披露する「鈴鹿8耐トークショー with レジェンド&現役ライダー」が開催されました。



ともに関西出身というレジェンドライダーのお二人は、レースでその名が知られる以前から、バイク仲間として親交があったそうです。
「思い出深いのは、1984年の鈴鹿8耐ですね。大阪の『ダイシンレーシング』からエントリーしたんですが、同社の社長に『タイヤサービスに行って、8時間保つタイヤを買ってこい』って言われたんです。それを真に受けて買いに行ったら、サービスの人が『それやったら予選の5秒落ちで走れば(8時間)もつんちゃいますか』って言うんですよ。当時、クイックチェンジャーなんてなかったですから、タイヤ交換に時間がかかるんです。でも、ウチのチームは交換せずに給油だけだから、あっという間にピット作業が終わっちゃう。で、本当に8時間タイヤ無交換で走ったら11位でフィニッシュできたんです。予選の5秒落ちで走ればいいからライダーも体力的に楽でしたね」(辻本氏)
「当時の辻本さんはカッコよかった! 僕はモリワキエンジニアリングに所属していたんですが、いつもエンジンが潰れたり自分が転んだりして、バイクを押している記憶しかないですわ。痛い思いをしながら空を見上げて、『あぁ、鈴鹿の空ってこんなに青くて美しいのか』という印象が強く残っています。
モリワキエンジニアリングの当時の社長からは『絶対にピットに戻る』ということを教わりました。だから、ひたすらバイクを押して、メカニックにマシンを渡すまでが僕の仕事でした。それと、『ウイリーしろ』とも言われました。『ウイリーできるヤツほどライダースキルがあるんだ』と。だから、ヘアピンでもシケインでもフロントタイヤを上げていましたね」(宮城氏)
現役ライダーからは、鈴鹿8耐に関するさまざまなエピソードトークが飛び出しました。

「Kawasaki Plaza Racing Teamは、より市販車に近い状態のマシンで争うSSTクラスに参戦しました。結果は総合30位、クラス11位です。クイックチェンジャーが使えないので、タイヤを交換する回数を減らすとか、いろいろ工夫できる余地があるのがこのクラスの面白さだと思っています。それに、『市販車に近い状態でもここまで戦えるんだぞ』ってアピールできるのも楽しいですね」(岩戸選手)

「チームスズキCNチャレンジは、2024年から実験車を用いるEXPクラスで参戦しています。環境負荷を低減しつつレースをするという取り組みですね。燃料はもちろん、カウリングやタイヤ、ブレーキなど、いろいろなところに環境に優しいものを使っています。今年は転倒などもあり、総合33位という結果に終わりましたが、カーボンニュートラルの先駆者として、来年も参加できたら嬉しいですね」(津田選手)

「鈴鹿8耐は自身7勝目、4連覇を達成することができました。2015年から2018年まで中須賀選手に負け続けたんですが、そのヤマハさんが今年は久しぶりにファクトリーで復活することになり、『真っ向勝負で勝ちたい』という思いで取り組みました。急遽、ライダー2人体制で決勝に臨むことになったんですが、それでも何とか勝つことができました」(高橋選手)

「ヤマハのファクトリーとしての参戦は6年ぶりとなります。6年前の2019年はラストに赤旗中断などがあり、5連覇が幻となってしまったので『今年こそは』という想いで臨んだのですが……。HRCと高橋巧選手のパッケージは本当に強くて、結果的に34秒遅れの2位に甘んじてしまいました。それでもチームが一丸となってベストを尽くした結果ですので、精一杯やれたと思っています」(中須賀選手)
“モビカル”ライフトーク with YU.SR500/愛車のある暮らし

YouTubeチャンネル「YU.SR500/愛車のある暮らし」をはじめ、インスタグラムやX(旧Twitter)を通じて、バイクやクルマとの素敵なライフスタイルを発信している人気インフルエンサーYUさんが、“モビリティカルチャー”をテーマにトークショーを行いました。ヤマハ「SR500」やシトロエン「Ami8」とともにモビリティライフを満喫するYUさん、現在は好きが高じてガレージハウスもプロデュースしています。
YUさんがバイクに乗るキッカケとなったのは、一人で黙々と走り続けるライダーの姿を目にしたこと。それまで長年続けていたスポーツとの類似性を感じ、「バイクに乗ることで世界が広がるのではないか」と思ったことからだそうです。

ヨーロッパに行くつもりで積み立てていた大学の卒業旅行の予算をスズキ「ST250」の購入費用に充て、日本国内を走って回ったというYUさん。その後、現在の愛車SR500に乗り換えてモビリティライフを満喫しています。
「JMS2025の会場内を巡らせてもらったなかで興味深かったのは『タイムスリップ・ガレージ』です。展示されている1980~1990年代のグランプリレーサーを見て、私は当時をまったく知らない世代なのですが、メーカーごとに異なるムードやイメージが現在にも通じるなと感じました。JMS2025は最新のクルマやバイク、さらには未来のコンセプトモデルなどのお披露目がメインですが、かつて活躍したバイクやクルマが埋もれないためにも、こういう展示は大切だと思います」
古いバイクやクルマが好きだというYUさんらしいお話でした。モビリティの伝統をともに大切にしてくれるYUさんの今後に期待しましょう。
メグロ・キャノンボール那須烏山
ステージイベント

デイリープログラム「メグロの聖地 那須烏山」トークショーがモビカルステージで開催されました。

戦前から戦後にかけて“大排気量の名門”としてその名を馳せたバイクブランド「メグロ」。戦況が激化するなか、昭和19(1944)年に栃木県烏山町(現:栃木県那須烏山市)に二輪車の生産設備を疎開させたことから、那須烏山市はメグロの故郷となりました。
現在のカワサキモータースに一体化されたメグロが、2021年「MEGURO K3」として復活。それを機に、那須烏山市の有志によるバイクミーティング「メグロ・キャノンボール那須烏山」が誕生し、観光協会や商工会、市がバックアップする規模で年々拡充しています。2025年11月2日(日)に開催された5回目の同ミーティングには、464台ものバイクが参加しました。

トークショー前半では、「メグロ・キャノンボール那須烏山実行委員会」委員長の山田 佳之氏が挨拶を行いました。

「私たちは“つなぐ”をテーマに、このイベントを開催しています。参加者同士のつながり、参加者と市民とのつながりを大切にし、この輪をどんどん大きくしていきたいと思います。
もうひとつは、時間軸のつながりですね。「メグロZ号レストア・プロジェクト」は、76年前に生産されたバイクを現代の技術で蘇らせるというもので、過去と現在をつなぐものです。また、我々は(同ミーティング内で)子ども企画も実施しており、子どもたちに那須烏山市のモノづくりの歴史を知ってもらうことで、現在と未来をつないでいます」(山田氏)

トークショーの後半では、山田氏が語った「メグロZ号レストア・プロジェクト」の取り組みが紹介されました。カワサキモータースから委託を受けた3年がかりの一大プロジェクトが、ついに完結したのです。プロジェクトリーダーを務めたのは、那須烏山市でカスタムバイクショップ「CROWS performance」を営む澤村 宜樹氏です。解体から部品の発注、組み立てまで担当しました。

「よく『苦労された点は?』と聞かれるのですが、私自身はすごく楽しくやらせていただきました。皆さんが魂を込めて部品を作ってくださったので、その仕事に恥じないように美しく仕上げるところが一番大変だったかもしれません。
商工会や観光協会、市が協力しながら取り組むことになったのですが、(本プロジェクトを通じて)『市内には、こんなにもいろんな仕事をされている方がいるのか』と驚きました。また、市内では対応が難しかったところもありまして、そんなときは全国のメグロ愛好家の方に話を伺ったり、お力添えをいただいたりしました。そして、先週開催された『第5回メグロ・キャノンボール那須烏山』で、メグロZのエンジン始動までこぎ着けました」(澤村氏)
東京ショーラン

同日16時には、旧メグロ、MEGURO K3、「MEGURO S1」など40台あまりのメグロによるパレードラン「東京ショーラン」がPerformance Zone(東棟屋外臨時駐車場)にて開催されました。これほどの台数のメグロが威風堂々とパレードするさまに、まるでタイムスリップしたかのような感覚に包まれました。



タイムスリップ・ガレージ

東7ホールの「Mobility Culture合同展示~タイムスリップ・ガレージ~」では、エポックメイキングな名車が、当時の生活を感じさせる風景やカルチャーとともに展示されていました。来場者にとっては、時代ごとにモビリティがどのような立ち位置にあり、そしてどのように移り変わっていったのかを改めて振り返る良い機会となったでしょう。
KAWASAKI 900 Super4 “Z1”

日本では1972年開催の「東京モーターショー」で初お披露目となったカワサキ「900Super4」。型式名である“Z1”(ゼットワン)を知る方も多いでしょう。排気量903ccの並列4気筒DOHCエンジンを搭載した本モデルの車体設計などには、メグロの技術者が携わっています。
HONDA Dream CB750FOUR-K

1977年に登場したホンダ「ドリームCB750FOUR-K」は、1968年の「東京モーターショー」でデビューしたホンダ「ドリームCB750FOUR」がモデルチェンジしたバイクです。容量19Lの大型燃料タンクやリアにディスクブレーキなどを装備しているのが特徴です。
YAMAHA JOG

今日まで継続販売されているヤマハの原付スクーター「JOG」(ジョグ)。展示されていたのは初代モデルで、1983年3月に発売されました。乾燥重量49kgという軽量な車体に、4.5PS※を発揮する強制空冷2ストローク単気筒エンジンを搭載しているのが特徴です。当時は販売価格が10万円以下だったことから、その価格帯と扱いやすさなどにより大ヒットモデルとなりました。
※:PSとは、ドイツ語のPferdestärkeの略で、馬力を指す単位
HONDA モトコンポ

ホンダの小型自動車「シティ」の初代モデルと同時に開発された原動機付自転車が「モトコンポ」です。ハンドルやシート、ステップを折り畳むことで、シティのトランクルームに積める大変ユニークな商品として登場し、人気を集めました。エンジンは空冷2ストローク単気筒エンジンで、最高出力は2.5PSです。

1980・1990年代のコーナーでは、当時活躍した4メーカーのワークスレーサーが展示されていました。2スト時代の懐かしいグランプリマシンが一堂に会するという、貴重な機会となりました。
KAWASAKI KR350

WGP(World Grand Prix / ロードレース世界選手権)350ccクラスにおいて、1978年、1979年、1981年、1982年にチャンピオンを獲得したのがカワサキ「KR350」です。展示されていたのは、350ccクラスの最終年である1982年モデルで、水冷2ストローク・タンデム2気筒エンジンを搭載しています。
SUZUKI RGΓ<XR35>

1981年のWGPで11戦中8勝を挙げた最強のマシン、それがスズキ「RGΓ」(アールジーガンマ)です。エンジンは水冷2ストローク・スクエア4気筒で、126PSもの最高出力を誇ります。前年までのレーサー「RGB」から15kgもの軽量化を果たし、マルコ・ルッキネリ選手がチャンピオンを獲得しました。展示されていたのはランディ・マモラ選手が乗車していたモデルです。
HONDA NSR500

ホンダ「NSR500」は、1984年から2002年までの19シーズンにわたって、 HRCがWGPに投入していたマシンです。展示車両は、14戦中9勝を挙げて500ccクラスのチャンピオンを獲得したミック・ドゥーハン選手の1994年モデルです。
YAMAHA YZR500

WGP1973年シーズンに登場したヤマハ「YZR500」。水冷2ストローク並列4気筒エンジンから、1981年によりパワフルなスクエア4気筒エンジンとなり、1983年には2軸クランクのV型4気筒エンジンへと進化しました。展示車両は、平 忠彦選手が全日本ロードレース選手権500ccクラスで2連覇を達成した1984年モデルです。
バイク熱はそのまま最終日へ

鈴鹿8耐やWGPを戦った新旧レーサーから、70年以上も前に作られた名車の復活、華やかなモビリティライフの理想まで、バイクの世界を幅広く楽しめる充実した1日でした。屋外・屋内の会場それぞれを埋め尽くした来場者の姿に、バイクへの関心度の高さが伺えました。続いて11月9日(日)の模様もお届けしますので、お楽しみに。

【動画】JMS2025: 国内4メーカーコラボ!鈴鹿8耐イベント ダイジェスト
Japan Mobility Show
https://www.japan-mobility-show.com
「モビショー2025」閉幕! ワクワクする未来へ、来場者は101万人 | jama blog
https://blog.jama.or.jp/?p=12333
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