北海道を横断する根室本線は、滝川から根室まで約443.8kmを結ぶ最長の鉄路です。内陸を貫いて道東へ伸びるその姿は、かつて“北海道の背骨”と呼ばれました。しかし2024年3月、富良野~新得間が廃止され、線路は二つに分断。かつて人々の夢を運んだ鉄路は、今では草に覆われ、風と錆の匂いを残して静寂の中に沈んでいます。さあ、失われた区間を辿りながら、その記憶を探す旅を始めましょう。
北の国から始まる物語

さて、「富良野」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか。北海へそ祭り、富良野ワイン、そして美しいラベンダー畑。けれど多くの人にとって、最も印象的なのはあのドラマ『北の国から』ではないでしょうか。倉本聰脚本による名作で、東京から富良野へ移住した黒板五郎(田中邦衛)と子どもたち(純/吉岡秀隆・蛍/中嶋朋子)が、大自然の中でたくましく生きる姿を描いた物語です。厳しい冬、短い夏、そして家族の絆。時に不器用で、時に切なく、それでも誠実に生きる人々の姿は、多くの視聴者の胸に深く刻まれました。

富良野を全国的に有名にしたのは、倉本聰脚本の名作ドラマ『北の国から』です。東京から富良野へ移住した父(黒板五郎/田中邦衛)と子どもたち(純/吉岡秀隆・蛍/中嶋朋子)の、厳しくも温かい大自然の中での生活を描いた人間ドラマ。四季の移ろい、貧しくとも誠実に生きる姿、環境や家族の絆といったテーマが多くの視聴者の心を打ちました。

第1話で一行が降り立ったのは、富良野駅のひとつ先にある「布部駅」。ホームには倉本聰さん直筆の木製看板「北の国から、此処に始まる」が掲げられ、待合室の壁には当時の写真が飾られていました。セピア色に褪せたその風景は、まるで時間そのものが止まっているかのようでした。
湖畔に残る鉄道の夢

布部駅を過ぎると、山部駅、下金山駅、金山駅、東鹿越駅と続きます。実はこの先の新得駅までの区間は、2016年8月の台風10号で甚大な被害を受け、復旧されないまま廃線となりました。山間を縫うように走っていた鉄路は今、草に覆われ、かつての賑わいを静かにのみ込んでいます。

東鹿越駅は、戦後の鉱山開発によって仮乗降場から昇格し、1946年(昭和21年)に正式な駅となりました。周囲にはほとんど人家がなく、いずれ廃駅となる運命でしたが、部分運休により折り返し駅として残されました。

駅前には「かなやま湖」が広がっています。1967年、金山ダムの完成によって生まれた人造湖で、面積は約920ヘクタール。透明度の高い湖面が四季折々の風景を映し出し、「ダム湖百選」にも選ばれています。湖畔にはキャンプ場やホテル、ラベンダー園が点在し、南富良野を代表する観光地として今も人気を集めています。この先はタイトなワインディングが続くので、十分注意して走行してください。
映画の中の真実、駅の中の夢

北海道には、名優・高倉健さんに縁がある場所がたくさんあります。『網走番外地』(1965年)、『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)、『居酒屋兆治』(1983年)――そして晩年の代表作『鉄道員(ぽっぽや)』(1999年)。雪に閉ざされた小駅で黙々と働く駅員の姿は、寡黙な健さんそのもののように感じられます。

『鉄道員』の舞台となった「幌舞駅」は、実際には南富良野町の幾寅駅です。撮影時に改装された駅舎は現在も残り、待合室には写真や小道具、出演者のサインが展示されています。駅前には撮影当時の食堂セットも保存されており、訪れる人々を映画の世界へと誘います。また、劇中で使用されたキハ40形気動車の前頭部「ぽっぽや号」も構内に展示されており、今なお多くのファンやライダーが足を運んでいます。
かつて列車が来た停車場

終点・落合駅は、1901年に北海道官設鉄道十勝線の終着駅として誕生しました。狩勝峠を越える補助機関車の拠点としても重要な役割を担い、長年にわたり根室本線の要として機能していました。しかし台風被害による不通以降、復旧の見込みは立たず、ホームは草に覆われています。かつて蒸気の響きがこだましていたその場所は、今ではただ風だけが通り抜けています。
鉄路の余韻を噛みしめて

そして旅の終着・新得駅。根室本線と石勝線が分岐する交通の要所です。駅前「とくとく(新得駅前地域交流センター)」の二階には、これまで踏破した鉄路の歴史が紹介されています。

もし訪れた日が水曜日なら、少し早めに駅へ向かうとよいでしょう。構内の売店「新得ステラステーション」では、毎週水曜の午前11時頃から限定5食のみ販売される幻の駅弁「新得地鶏めし」が並びます。炭火の香ばしさと滋味あふれる味わいは、まさに旅の締めくくりにふさわしい逸品。静かな駅のホームでその味を噛みしめれば、きっとあなたの中にも、遠い旅の記憶が刻まれるはずです。








