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Honda「TYPE R」30周年 Honda Storiesが新規コンテンツを公開

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本田技研工業株式会社は、Hondaの”これから”がわかるHonda Storiesにて、新規コンテンツ「Honda「TYPE R」30周年。世代を超えた2人が語る、軌跡と未来」公開した。新型シビック TYPE R(FL5)のエクステリアデザイナーと共に、今年で30周年を迎える「TYPE R」の歴史と、これからの“TYPE R像”に迫るコンテンツとなっている。同車両は、クルマの機械的な運動情報などをリアルタイムにドライバーに伝える、TYPE R専用のデータロガー「Honda LogR(ホンダ ログアール)」を搭載し、運動性能と快適性を両立するスポーツカーである。プロジェクトリーダーを担当した原氏は、「クルマを取り巻く環境は変わっていくが、時代に沿った形でピュアに表現するのがHondaのスポーツスピリットであり、TYPE Rにはこれまでのファンを引き連れて、未来に進んでいくような存在になってほしい」と考えている。

目次

Honda「TYPE R」30周年。
世代を超えた2人が語る、軌跡と未来

レーシングカーが持つ速さと圧倒的なドライビングプレジャーを追求するピュアスポーツモデル「TYPE R」。2022年は、その原点となる「NSX-R」の登場から30年の節目です。これまでの12台に及ぶ歴史と、脈々と受け継がれてきたHondaのスポーツスピリット、そして、これからの“TYPE R像”に迫りました。

Index

  • 「R」は、RacingとRed(赤派)のR
  • Hondaのスポーツスピリットを象徴するTYPE Rの系譜
  • 己を超えるクルマづくりで、未来を切り開く
塚本亮司

コーポレートコミュニケーション統括部 広報部 技術訴求企画課
エキスパートエンジニア
塚本亮司

1985年Honda入社。長年、四輪車体のテスト領域を担当。初代NSXの強度領域におけるプロジェクトリーダー、1992年発売のNSX-Rから最終モデルまでは車体研究の開発責任者代行を務める。その後、S2000、第2代目NSX開発などに携わり、2014年に本田技術研究所技術広報室を経て現職。

原 大

オートモービルデザイン開発室 プロダクトデザインスタジオ
アシスタントチーフエンジニア デザイナー
原 大

2007年Honda入社。グローバルモデルやスポーツモデルを中心にエクステリアデザインの開発に携わり、NSX Type Sのエクステリアデザインのプロジェクトリーダーも務めた。TYPE Rでは、先代シビック(FK8)からエクステリアデザイン開発に従事、新型シビック(FL5)ではプロジェクトリーダーを担当した。

「R」は、RacingとRed(赤派)のR

チャンピオンシップホワイトと呼ばれるアイボリーホワイトのボディに、真っ赤な“Hマーク”のエンブレム。これを見れば、クルマ好きなら誰もが「TYPE R」を思い浮かべるでしょう。Hondaスピリットを象徴するTYPE Rブランドは、いかにして生まれたのでしょうか。

初めて登場したのは、1992年11月27日。「人間中心のスーパースポーツ」をコンセプトに一世を風靡した初代「NSX」の特別バージョン「NSX-R」が、そのはじまりです。

車体のカラーリングは、1965年にHondaがF1で初優勝を成し遂げた純日本製F1マシン「RA272」に由来。Honda F1の血統を受け継ぐ存在であることを示しています。

純日本製のF1マシン「RA272」

初代NSXが登場した時代は、1987年に鈴鹿サーキットで開催されたF1日本グランプリを機に、空前のF1ブームに沸いていた頃。それ以前からサーキットでスポーツ走行を楽しむ人は多数いましたが、このF1ブームによって多くの人々が速さに憧れ、日本のレースシーンはどんどん本格的なものになっていきました。

当然、Hondaの技術者たちも「誰もが驚くほど速いスポーツカーを作りたい」と情熱を燃やしました。その想いは、NSX-R以前に作られた初代NSXのオーナーたちからの「もっとサーキットを攻められるクルマが欲しい」という声に後押しされる形で、実現へと向かっていったのです。NSX-Rの開発に携わった塚本亮司エキスパートエンジニアは言います。

塚本エキスパートエンジニアは、初期のTYPE Rからプロジェクトに関わり、TYPE Rを知り尽くした一人

塚本: 初代NSXの開発時には、人間中心の先進技術を搭載した新しいスポーツカーを作るべきとする『シルバー派』と、もっと運動性能(速さ)を追求すべきだという『赤派』が議論を戦わせました。そうして双方の思いを存分に取り入れて作り上げた、新しい世代のスポーツカーが初代NSXです。どこを走っても運転が楽しく快適なクルマでしたが、走りのポテンシャルはまだまだ引き出せるものがあった。そこで、開発の際に企画案として存在した『赤派』の思いを実現すべく、『NSX-R』の開発がスタートしました。初代NSXをベースに、快適性のための装備を限界まで削り、速さを突き詰め、サーキットで極限のパフォーマンスを実現できるようにしたのが、『NSX-R』です。

言葉で書くと簡単なように思えますが、それは並大抵のことではありません。というのも当時は、登録車(普通車)は280馬力まで、というクルマ業界の自主規制があり、初代NSXは既に280馬力に達していました。最もシンプルな手法である、エンジンパワーを上げて速くするというアプローチができなかったのです。

塚本: そこで、軽量化によってパワーウエイトレシオ(重量出力比)を高めていく手法を取りました。車体が軽ければ同じ力でも速く走れますし、運動性能の資質を高められます。ただし、高精度なのはベースモデルも同じなので、運動性能を高めるセッティングが要求されます。レスポンスを向上させるためにエンジンの動的回転バランスを突き詰めたり、ボディやサスペンションといった領域も、より高度なセッティングのノウハウが必要でした。しかし、チーム一丸でやり遂げ、最軽量モデルで従来比120kgの軽量化をし、Hondaのレーシングスピリットを体現することができました。

それから30年。NSX-Rで培われた技術と哲学は脈々と受け継がれ、現在のTYPE Rは、快適性を犠牲にせずともサーキットでパフォーマンスを発揮できるまでに成熟しました。現在までに登場したTYPE Rは全12台。ここからは、その系譜をたどっていきましょう。

Hondaのスポーツスピリットを象徴するTYPE Rの系譜

1992年 : NSX-R(NA1)

徹底した軽量化と足まわりやパワートレインのチューニングで速さを研ぎ澄ましたピュアスポーツモデル

1995年 : インテグラ TYPE R(DC2/DB8)

NSX-Rにならい 、軽量化とボディ剛性向上を追求。専用のチューニングが施されたエンジンも搭載され、
高い運動性能を誇った。上写真がDC2、下写真がDB8

NSX-Rは革新的なクルマであったものの、当時で900万円を超える価格には、なかなか手を出しづらいものがありました。そんな中、222万円という価格で登場したのが、「インテグラ TYPE R」です。

塚本 :走り好きのHondaファンが満足できる性能を、当時の若い人たちでも買える値段で実現させることは、NSX-Rとは違った難しさがありました。この頃のベース車両はTYPE Rを前提とした設計になっていないため、エンジンルームや足回りのレイアウトなどに制約条件がある中で仕上げていくチャレンジが重要だったと聞いています。

量産モデルベースでありながら、熟練工が手仕事でエンジン部品の研磨を行うなど、妥協のないチューニングが施されたインテグラ TYPE Rのエンジンは、最高出力200馬力/8000rpmを発生。量産車用の自然吸気エンジンとしては当時世界最高峰となる、リッター当たり111馬力というスペックを実現しています。

1997年 : シビック TYPE R(EK9)

ベースであるシビックの素質を活かし、コンパクトなボディできびきびと走るダイナミックさと、
高度なコントローラビリティを両立したモデルとして人気を博した

1998年 : アコード TYPE R

唯一欧州域内だけで販売されたモデル。ベースモデルから約60kgの軽量化がなされ、
専用チューニングの2200ccエンジンが採用されるなどTYPE RのDNAをしっかりと引き継いでいた

そして、TYPE Rの人気を確固たるものとしたのが、初代「シビック TYPE R」でしょう。インテグラの人気に押される形で登場した同車は、1090kgの軽量な車体に1600ccながら185馬力を発生するハイパワーなエンジンを搭載。鋭く吹き上がる官能的なレスポンスと、従来のFF車(前輪駆動車)の常識を覆すハンドリング性能で、Hondaを代表するライトウェイトスポーツカーとして、その名を轟かせました。

翌年には、欧州で「アコード TYPE R」が発売。日本で販売されなかったモデルのため国内での知名度は高くありませんが専用の高出力エンジンが与えられ、ベースモデルに軽量化やボディ剛性向上などのチューニングが施された、TYPE Rの作法にのっとったモデルでした。

2001年 : インテグラ TYPE R(DC5)

DOHC i-VTECエンジンやbrembo社製のブレーキキャリパーが採用され、新時代のTYPE Rを印象付けたモデル。
ベースモデルとの同時開発も画期的であった

2001年 : シビック TYPE R(EP3)

“Dangan(弾丸) Hot Hatch”をコンセプトに開発。日本向け仕様のテールゲートには英国生産モデルであることを
主張するユニオンジャックのエンブレムも施された

2002年 : NSX-R(NA2)

初代をさらに進化させるため、空力的な知見から高速走行時の安定性と操舵性の向上を図り、
限界領域を引き上げた

2000年代になると、TYPE Rはさらに攻めた味付けへと変化していきます。インテグラ、シビックともに「K20A」が呼び名の2リッターのDOHC i-VTECエンジンを搭載したことで、さらなるパワーを手に入れました。一方、280馬力自主規制によりエンジンパワーを高められないNSX-Rは、エアロダイナミクスへの着手によって運動性能を高めていきました。

塚本 :空力によって操縦安定性を高める『空力操安』というキーアプローチです。具体的には、車体の裏側をフラットにしたり、フロントのボンネットからエアを抜き、リアスポイラーとのセッティングと併せ、前後のリフトバランスを調整。高速走行時にタイヤの接地力を高めるダウンフォースを発生させ、限界領域の拡大とコントロールクオリティのレベルアップを図りました。

レーシングカーと違い、保安基準によって最低地上高が決められているため難しいとされていましたが、ムービングベルトを用いた風洞テスト、空力シミュレーションなどを駆使して狙った空力性能を達成することができたのです。

2007年 : シビック TYPE R(FD2)

FF TYPE R史上最速のサーキットラップタイムの実現と「速さと一体となる」高次元のドライビングプレジャーの獲得を目指して開発。K20Aエンジンは熟成が進み225馬力まで出力が高められた

2009年 : シビック TYPE R ユーロ(FN2)

欧州向けの3代目シビック TYPE Rとして現地では2007年に発売。独創的かつスタイリッシュなフォルムをまとったこの3ドアモデルに対する国内導入の高い期待に応え、日本では2009年から計3510台限定で販売された

2015年 : シビック TYPE R(FK2)

最高出力310馬力に達するターボエンジン「K20C」を搭載。開発車両はドイツ・ニュルブルクリンク
北コースにおける当時のFF量産車の最速ラップタイム(7分50秒63)を記録し、
日本市場にはそのタイムにちなんで750台が限定で導入された

2017年 : シビック TYPE R(FK8)

TYPE R史上最速であるのはもちろんのこと、かつてないグランドツアラー性能や⽇常での楽しさまで備えた
新世代のTYPE Rを具現化。後期型には軽さと速さを研ぎ澄ましたLimited Editionを設定

2015年に日本に導入された「シビック TYPE R(FK2)」は、TYPE Rシリーズで初めてターボエンジンを搭載。世界一タフなサーキットと言われ、自動車開発の聖地でもある、ドイツのニュルブルクリンク北コースでFFモデル最速タイムを叩き出し、TYPE Rのブランドを大きく高めました

その2年後に発売された「シビック TYPE R(FK8)」では、クルマとしての基本性能を向上させ、理想のFFスポーツカーとしてのパフォーマンスを徹底追求した結果、ニュルブルクリンク北コースで再びFFモデル最速タイムを更新。その一方で、走行シーンや気分に応じて選択できる3つのドライビングモードを設定し、日常での快適性にも配慮したこれまでにないTYPE Rとなりました。

2022年 : シビック TYPE R(FL5)

スポーツモデルの本質的価値である「速さ」と官能に響く「ドライビングプレジャー」が両立する
究極のピュアスポーツ性能を目指した最新のTYPE R

そしてTYPE Rシリーズ発売から30周年を迎える2022年、「シビック TYPE R(FL5)」が登場。かつては乗り心地の硬さなどから乗り手を選ぶ傾向にあったTYPE Rは、時代が進み技術が進化する中で、運動性能と快適性を高次元で両立するスポーツカーに進化を遂げました。また、クルマの機械的な運動情報などをリアルタイムにドライバーに伝えるTYPE R専用のデータロガー「Honda LogR(ホンダ ログアール)」を搭載。新たな走る喜びを提案しています。

己を超えるクルマづくりで、未来を切り開く

常に己を超え続け、TYPE Rにしかない価値を作り上げてきたHonda。その魂は、開発チーム全体に浸透しています。2017年の「FK8」、2022年の「FL5」のエクステリアを担当した原 大デザイナーは、「TYPE Rの開発となると、みんなどこかリミッターが外れるんですよ」と楽しげに語ります。

 :普通だったらやらない手法にトライしてみたり、新しい領域にチャレンジしたりすることができる。それは、“最速”という、目指すべきところが明確だからなんですよね。デザインにおいても、一番速いものが最適解であって、それが証明できれば、誰からも文句は出ません。『FK8』と『FL5』のエクステリアデザインを担当する中で、カーデザインにおける機能美、そしてTYPE Rとは何かを学びました。

自身も幼少期からクルマ好きで、TYPE RがHondaで働きたいと思ったきっかけに

これまで、速さのためのデザインを突き詰めてきた原デザイナー。初めてTYPE Rのデザインに関わった「FK8」では、空力など性能に直結する部分のデザインは特に難しかったと言います。

: レースシーンからのフィードバックもあり、空力に対する考え方は日々進化しています。当時は最適だと思っていたものが最新の理論で覆されるのは当たり前にあること。そうした中から速さを突き詰めたデザインをしていくわけですが、TYPE Rはあくまでも量産車です。クリアしなければならない保安基準もあります。その中で、一番速いクルマを目指すのは、想像以上にタフでしたね。

新型CIVIC TYPE Rを前に、2人の話は尽きない

それでも、原デザイナーは「FK8」では「やりきった」と断言できるレベルまでチーム一丸となって作り込んだと言います。「FL5」では、そこからさらにもう一歩、もう二歩踏み込んで、クルマとしての完成度を進化させることに力を注ぎました。

 :速いんだからいいでしょ、というのを言い訳にせず、スポーツカーとしての所有感やツヤ感までを強く意識しました。

FL5のインテリア。鮮烈な赤色が乗り込むドライバーの気持ちを高める
シートとは対照的に、黒で統一されたコックピットまわり。走行に集中するための工夫だ

一般公道を走れるレーシングカーとして、スペックや法規は全てクリアしながら、究極のスポーツカーとして作り上げた「FL5」。デザインだけでなく、設計者、エンジニア、テストドライバーなど、各領域が互いにアイデアを出し合い、時には互いの領域に踏み込むような議論を重ねながら、機能とスタイリングを高めました

 :スポーツカー含めてクルマを取り巻く環境は大きく変わっていますが、『FL5』のキーワードに掲げた『本質』と『官能』という要素はクルマにとって普遍的なもの。それを時代に沿った形でピュアに表現するのがHondaのスポーツスピリットであり、TYPE Rだと思うのです。これは個人的な想いですが、TYPE Rには、これまでのファンを引き連れて、未来に進んでいくような存在になってほしいですし、そうしていかなければいけないと思っています。

リリース提供元:本田技研工業株式会社

※記事内容は全て執筆時点のものです。最新の情報をお確かめください。

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