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激烈チョロバイ伝説15 一時代を築いたヤマハの風雲児たち

※記事内容は全て執筆時点の情報です。

2024年2月から始まったタカラ(現タカラトミー)が発売していたチョロQのバイク版「チョロバイ」を紹介する記事も最後になります。ラストを飾るのは一大ムーブメントを起こしたヤマハのモデル3台です。

目次

サラリーマンにもストリート系にも大人気!「マジェスティ250」

1990年代初頭、ヤマハは販売不振が続く50ccクラスに変わるべく新しいジャンルの開拓に乗り出していました。バイクは趣味的要素が強い乗り物ですが、スクーターは気軽な移動手段としてバイクに興味がない人にも受け入れられています。そこで目を付けたのがプレステージコミューターとなるビッグスクーターでした。

マジェスティ250の開発に携わっていたMC事業部第一設計部SC開発PL(当時)の高橋博幸さんは、インタビューに次のように答えています。

「一般的な都内の通勤圏は約20〜25㎞ほど。多くの人が電車を使いますが、駅までの移動や乗り換えなどに時間がかかります。もしバイクでダイレクトに通勤すれば時間を短縮することができるはず。通勤快速を作り出す計画が立ち上がりました」

ヤマハ初のビッグスクーターとなるため、エンジンは新しく設計されました。排気量は余裕のある250ccを選択。オートミッションはSTOP&GOが多い市街地でライダーの負担を軽減します。快適性を追求したポジションや、ヘルメットを収納できる大型のトランクなど装備も充実。ツーリングにも最適で、たちまち人気となりました。

チョロバイは1999年に発売された第二世代(5GM/5SJ)がモデル化されています。スタイリッシュなスタイルに反応したのはストリート系の兄ちゃんたちです。バイクに興味がなかった人たちも「かっちょい~!」「イカシテル!」「チョベリグ!」と飛びつきました。
ボディカラーのホワイトを活かして、シートもステップも何もかも真っ白な「雪見大福」みたいなカスタムが街にあふれていました。

スズキ スカイウェイブ250

マジェスティ250のヒットにライバルメーカーも黙ってはいません。ホンダはフォーサイト、スズキはスカイウェイブを発売。カワサキもスズキのOEMを受けて「エプシロン」と言う珍車を販売しました。いわゆる黒歴史ってやつですね。

磨けば輝きを放つ宝石の原石だった!「TW200E」


TW200は冒険者の風間深志さんが、史上初のバイクによる北極点踏破に挑戦する際に相棒として選ぶなど自然が似合うマシンでしたが、1990年代半ばに東京都・杉並区にある「モトショップ五郎」によるカスタムによって大化けしました。

チョロバイは、1998年に発売されたTW200Eをモデル化されました。「ショップや個人のカスタムが人気なら、最初からそれっぽくして売れば儲かるべ」とオシャレに変身させたところ大ヒット。その後もライバル各社から「なんちゃってダートバイク」が次々と発売されました。当時の様子は、都会の絵の具に染まった朴訥な青年「ヤマハTW200」に詳しく書いていますので、宜しければそちらもご覧ください。

ウェルシアでもツルハでもマツキヨでもない!「ドラッグスター」

ドラッグスターは、XV400ビラーゴの後継車種として1996年2月に発売されました。車名の「ドラッグ」とは薬物ではなく、直線コース上でスピードを競う「ドラッグレース」から命名されています。ロー&ロングなスタイルで、ビラーゴよりもスタイリッシュ。チョロバイはハーレーのソフテイルにも採用されているリジッド(サスペンションが全く無い状態)に見えるモノショック式リアスイングアームや、シャフトドライブも再現されています。

必要以上に凝った作りをしているのは、ホンダ・スティードの牙城を崩すためだったのでしょう。スティードは1988年に発売され、約10年間でシリーズ総計8万台も売れるメガヒットマシンです。しかしながら両車の勝負は排ガス規制によって終わりを告げます。スティードは2002年、ドラッグスターも2017年に生産終了が発表されました。

ちなみに「アメリカンバイク」という呼び方は日本だけのもの。本国ではクルーザーと呼ばれています。日本製なのにアメリカン、アマチュアなのにプロレス、学生大関はいないのに学生横綱。

ヘンなの!

マイコレクション全46台紹介終了!

今回で「激烈チョロバイ伝説」は終了です。

全46種類のコレクションを紹介する機会を与えてくれたモトメガネと、お付き合いいただいた皆様に感謝いたします。

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モトメガネ バイク買取一括査定

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